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良い研究をすること

最近研究テーマを整理していて思ったのだが、技術的には大体これはできるなあとかその結果とかがよそくできるようになってしまっていた。大体データ分析のスキルはある程度あって、まあやったことがないものについても勉強したりとかトライしてみるとできるっちゃできるか~ということになった。

 

これはある意味で技術やスキルを一定程度身に着けたというか武器になったということだろう。こうなると割とらくちんではあるので研究自体はすぐに終わるし、くだらないところで足をすくわれることもなくなってくるのではないかと思っている。そう考えるとこれからは論文を生成できそうな気がする。しかし、論文自体はできたとしても、仮に査読に通ったとしてもそれが面白いかどうかは別な気がしている。

 

まず、テーマや着眼点は悪くはないけど、みんな思いつきそうなのをやっていないからや、少し技術があってできるからやるというような研究スタイルになってしまっているのが少し難点である。博論はオリジナリティがあったような気がするけれど、テーマを生み出す楽しさやつらさをもっと味あわなくてはいけないのかもしれない。

 

確かにうんうん必要だね。面白いかもぐらいのレベルで論文になりそうだし、とか助成金もらえそうだしということでやっているとダメなのかもしれない。そこらへんをうまくやって頑張らないといけないだろうなと思った。

 

さらに果たして良い研究何だろうかということも最近思っている。良い研究とは分析に隙がないということではなく、新たな視点や考えを適用して粗削りでも結構面白いじゃんとかそういうところは考えつかなかったなあというような感想をもたせてくれるものじゃないだろうか。

 

そういう意味では今の研究テーマはどれも確かに修論とか卒論ではやっている人がいそうだし、まあ発表としてはありうるけれど、それ以上のものにはならないような気がする。

 

もちろん採用や数のことだけ考えればどうせ中身なんて見られないのだからこのような通すための技術を学んでおくのも悪くはないのかもしれない。1年で2本提出できるということは悪くないのだし。仮に落ちたとしても。

 

しかし、それはそれでやりつつも面白い研究や新規のことを考え続けるということもすぐには結果は出ないかもしれないが忘れてはいけないだろう。じゃあ具体的にはどうすればよいのかはわからない。とりあえず手を動かしながら考えていこうというのもありうるのかもしれないがそれで答えが出るとも限らないしなというところである。